破壊された仏像たち バーミヤン

日本人にもなじみ深い宗教と言えば仏教ですね。日本の世界遺産にも仏教にかかわった遺産はいくつかあります。しかし世界には悲劇的な経緯をたどってしまった仏教の遺産があるのです。それが現在のアフガニスタンにあるバーミヤン渓谷にある石仏と石窟です。

仏教の始まりはインドで紀元前450年ごろにお釈迦さまが広めました。その後さまざまな経緯を経て仏教はシルクロードを経由して中国や中央アジアに広まります。バーミヤンに仏教が分かったのは一世紀ごろです。このころに石窟仏教寺院が作られ始めました。5~6世紀ごろに入ると大きな大仏が掘られるようになります。大きいものでは高さ55mにもなる大仏が掘られ、石窟内も当時のインド美術やペルシャ美術の影響を受けた壁画が描かれました。

バーミヤンはその後も繁栄し、西遊記で有名な三蔵法師が訪れた際には大仏は美しく装飾され僧院には数千人の僧がいたとされています。しかし、イスラム教の勢力が入ってくると厳しい迫害を受けるようになり次第にこの地の仏教は衰退しました。11世紀には寺院内で略奪が行われたとされています。しかし、壁画や大仏などは風化による損壊はあったものの破壊は免れており、偶像崇拝に厳しいイスラム教の支配にあっても壁画などは無事でした。

タリバンによる破壊

19世紀以降にはヨーロッパやアジアからこの地に人が訪れるようになり、バーミヤンが大仏などの仏教美術を今に残していることから注目を集めます。20世紀に入ると学術調査も行われ、アフガニスタンの誇る世界的な文化遺産とみられるようになりました。しかし、1979年に当時のソ連がアフガニスタンに侵攻したことをきっかけに紛争が始まると遺跡に被害が出るようになりました。

90年代には遺跡周辺に地雷がおかれ、そして2001年にはタリバン政権のイスラムの偶像崇拝禁止に反しているという理由で大仏などが爆破されるという悲劇を迎えます。この時の様子は世界中に映像で配信され、この時に大仏のほとんどが破壊され、壁画に至っては8割が失われたとされています。これは国際社会のみならず、さまざまなイスラム教の指導者からも非難されました。

その後の保存活動

バーミヤンの遺跡は以前から「バーミヤン渓谷の建造物群」という名前で文化遺産に推薦されていましたが長引く紛争により審議が延期していました。タリバン政権が崩壊してしばらくした2002年に日本政府とユネスコの共同で修復・保存に動き出し、2003年に危機遺産として世界遺産に登録されました。この他にも当時ユネスコの親善大使でシルクロードの文化の第一人者であった平山郁夫がこの事態に抗議し危機に瀕した文化財を文化難民として保護するという活動を始めます。

その後、2002年以来日本は181万ドルをバーミヤンの修復事業に充てるなどそのほかの国際社会からも修復の支援が行われています。ドイツの調査チームによって破壊されたがれきの中から見つかった木片などから年代を測定した結果、507年ごろであることが分かったり、2015年には中国の研究チームが3Dで大仏の復元が行われたりしました。他にも現地のアフガニスタン人の専門家を育てるための活動が行われるなど保存に向けて少しずつ動いています。

世界にはこのような迫害を受けた遺跡や戦争や紛争によって破壊されている遺跡が多くあります。世界遺産はこういった遺跡を守るためにも活動しています。将来にバーミヤンのような遺跡を残していくためにも、こんな遺跡があるということを知っておくべきかもしれません。

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