美しいだけじゃない!姫路城の苦労

日本のお城で世界遺産にもなっているお城と言えば姫路城。その白く美しい姿から白鷺城ともいわれており多くの外国人観光客が訪れます。今回はそんな姫路城についてご説明します。

姫路城とその歴史

姫路城の始まりにはいろいろな説がありますが、1346年の南北朝時代の頃に築城されたのが有力な説として挙げられます。このころはまだ館のようなものだったそうですが、戦国時代後期に大河ドラマにもなった黒田官兵衛の祖父の代に本格的な城が築城されました。その後は羽柴秀吉が黒田官兵衛に譲られる形で姫路城に入ります。交通の要所でもあったため姫路城は天守閣を持つ城として改修、城下町も整備されるなどして発展しました。

徳川家康が関ケ原で勝利すると池田輝政が城主になります。この時に現在見ることができる大規模な城になりました。明治に入ると陸軍の駐屯地になり、その際に天守閣が売却され破壊されそうになりますが、天守閣を初めとした櫓などは陸軍の中村重遠大佐の働きにより保存されました。太平洋戦争の時には二度の空襲に襲われますが、焼夷弾が不発となる幸運もあって生き延びます。このような破壊の危機や戦争などの苦難をへて、姫路城は残っているのです。

お城の維持は大変

近年、姫路城は平成の大改修が行われましたね。しかし木材などで作っている以上、柱が腐り、カビなどによる腐食が起こるためその維持には昔から相当な手間がかかっていました。江戸時代にも改修工事は何度も行われました。1656年には天守の柱が腐ったため、腐った個所を取り除いて別の部材をはめ込み、さらに柱の支えるために添え柱を鉄で巻くなどの補強工事が行われています。

1684年には梁の補強工事も行われています。この他にも細かいものでは屋根や軒回りの修理などを行っています。ある時代の城主は「広大で修繕する箇所が多い」「壁の塗り直し以外にも基礎の手入れを怠らぬように」といったことを言っていた記録がありました。このように姫路城は歴代の城主からも愛され、修復に次ぐ修復を重ねていました。他の地域の城では改修もできず、そのままなんて城もあったくらいです。そんな姫路城ですが、一つ問題がありました。

実は姫路城の天守はその重さに礎石と地盤が耐えられず傾いていたのです。柱や梁も変形してしまうほどだったらしく、当時の唄に「東に傾く姫路の城は、花のお江戸が恋しいか」と言われていました。その後も傾く天守は止められず、明治になり、どうにか天守が傾くのを止めるための工事が行われたり、昭和の大修理で天守の柱ごと変え、瓦も軽いものを使うなどしたりして修理が行われ今に至ります。

世界遺産の登録基準に影響を与えた遺産

姫路城と法隆寺の世界遺産登録にはある問題点が当時はありました。それは登録される文化財が材質、機能などが本来の価値を持っているか、ということでした。簡単に言ってしまうと建設当時の状態が残っているか、ということです。これは石造建築がほとんどのヨーロッパにおいては特に問題はないのですが、日本やアジア圏の木造建築は木材が腐食したりすることで補修や交換が必要になります。この点が問題視されたのです。姫路城が登録される際にこの点は議論、再検討され今日の登録基準に生かされています。

このように姫路城は文化遺産としての保存や登録についてもさまざま困難をへて今に至ります。これも保存に動いてくれた人々と戦争を生き抜いた奇跡などが重なっているのです。そんな世界遺産、姫路城を一度ご覧になってはいかがですか?

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