アルゼンチン、コルドバのイエズス会伝道所とエスタンシア群

南米アルゼンチン。16世紀に最初にやってきたスペイン人は、首飾りをつけた先住民をみて、この地を「銀」の産地と誤解しました。それが国名の由来で、「Argentina」はラテン語で「銀の国」を意味します。ちなみに、銀の元素記号は「Ag」ですが、「Argentum」が由来です。スペイン人は銀を求めてこの国に侵入しましたが、残念ながら発見できませんでした。

スペイン人の侵入とともに訪れたのが「イエズス会」。入植した際に数々の建物群を建造しました。この集落跡が「イエズス会伝道所とエスタンシア群」。全長250kmに及ぶ広大な世界遺産都市です。

アルゼンチンはどんな国?

南北に3330kmもある長い国です。国土面積はブラジルに次いで南米2番目の大きさです。南極大陸も自国領土と主張しています。人口は4000万人弱で、GDPは日本の20分の1程度。経済規模は東京都よりもはるかに小さいです。

16世紀初頭にスペイン人が入植し、植民地化されます。19世紀には長年にわたる独立戦争やブラジルとの戦争があり、国家の統一には時間がかかりますが19世紀半ばに連邦国家が誕生します。

イエズス会の伝道と施設建設

スペインの入植時代にイエズス会もこの地に街づくりを始めます。17世紀初めには、南米最初の大学である「コルドバ大学」を設立、さらに「モンセラ中等学校」、教会や大聖堂、住居などを建設します。こうした施設の運営費を捻出するため、イエズス会は「エスタンシア」とよばれる大規模農園を経営します。

エスタンシアには、カロヤ、ヘスス・マリーア、サンタ・カタリーナ、アルタ・グラシア、カンデラリア、サン・イグナシオの6つの農園がありました。

イエズス会の退去と復帰

1767年にスペイン王カルロス3世がイエズス会に対し、アメリカ大陸からの退去命令を出したため放棄され、代わりに「フランシスコ会」が運営を始めます。1853年に、イエズス会が復帰しますが、「コルドバ大学」「モンセラ中等学院」は国営化されました。

大学や大聖堂、教会などの施設を中心として、エスタンシアの街は発展します。農園の多くと建物はすべて現在も使われており観光もできます。

大聖堂や大学などの施設群と農園をめぐる道は、長い旅となりますが。南米の建国の歴史を垣間見ることのできる古く美しい町です。是非一度訪ねてみてはいかがでしょう?

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