ヨーロッパの万里の長城?ハドリアヌスの長城

ローマ帝国の国境線

ハドリアヌスの長城は現在のイギリス、イングランド北部とスコットランドの国境線近くにある長城です。正確に言うとローマ帝国の国境線を防御する防御壁「リメス」と呼ばれています。ローマ帝国は一世紀半ばには現在のイギリスにまで勢力を拡大していましたが、度々侵入してくるケルト人に悩まされていました。

そこで皇帝ハドリアヌスは長城の建設を考えます。完成当時は118kmにも及ぶ長さで壁の高さは4~5m、厚さ3mで最初は土塁でしたが、のちに石垣で補強されました。1.5km間隔で監視所があり、6km間隔には砦が設けられていました。要塞には500から1000人のローマ兵が配備されていたと考えられています。この長城は完成に10年かかったそうで、この長城の建設がそれまで続けていた帝国の領土拡張を断念し、政策転換した象徴的建造物の一つになります。

ハドリアヌスって?

ローマ帝国の五賢帝時代の一人として有名な皇帝で、領土拡張を進めていたトラヤヌス帝の跡を継いで皇帝になります。当時のローマは中東付近まで領土を拡張し、ローマ帝国最大の領土を獲得していましたが、隣国のパルティアとの戦争は収束できずにトラヤヌス帝が亡くなります。

跡を継いだハドリアヌス帝はそれまでの領土拡大政策を止め領土の一部返還をすることでパルティアとの戦争を終わらせるなどをして各地の国境の安定化に努めました。イギリスに作られた長城もその一つでこの他にもドイツのライン川付近やアフリカにも長城を築いて国境の防備を固めました。他にも国中を視察して回り公共工事を行い、各地の行政の整備を行いました。官僚機構や法の整備も行うなどのちのローマ帝国に大きな影響を与えました。

他にもある長城

この他にもハドリアヌスの長城以前に作られた長城がドイツのライン川付近に残っています。こちらはのちにローマ帝国滅亡の原因にもなるゲルマン民族に対する備えで作られました。83年に建築が開始され、ハドリアヌス帝のものと同じように土塁と物見やぐら、砦を備えていました。

この他にも幅8m深さ2.5mの堀を築いています。全長は550kmもあり、完成したのはハドリアヌス帝の時代になってからです。その後、イギリスの長城よりも北にアントニヌスの長城が作られましたが、こちらは完成して20年で防衛できなくなりハドリアヌスの長城まで撤退することになります。

長城のその後

ハドリアヌスの長城は軍事上の防衛線として作られたため、ローマ帝国崩壊後もスコットランドに対する防御壁として17世紀まで使用されました。現在はほとんど残っていませんが、イングランドとスコットランドの国境線として半ば固定化されており現在にも影響を及ぼしています。ライン川付近の長城は19世紀に再発見されるまで忘れられており、地元の人が「悪魔の城壁」と呼んでいたそうです。ハドリアヌスの長城は1987年に世界遺産に登録、その後ドイツにある長城と物見やぐら、砦跡がリメスという名前で追加され2008年にはアントニヌスの長城が追加されました。

いかがでしたでしょうか。日本では島国な上、他民族の侵略が鎌倉時代の元寇ぐらいしかありませんので国境線、という考え方があまり一般的ではありません。しかしヨーロッパなどの大陸の国々は陸続きであるがゆえに、国境を越えて侵略されることは珍しくありませんでした。こういった経緯は現在の国境線にも影響を与えています。こういった遺跡を見ることで日本との文化の違いを感じるのもいいですね。

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