チリ、イースター島の謎のモアイ像

感謝祭イースター当日に発見されたことから「イースター島」と名付けられた小さな島。南米チリに所属する島ですが、地理的にはどこにも所属しないような位置にある孤島です。チリ本土からは西へ3700km。南米に所属するというよりもポリネシアの島。チリの国立公園「ラパ・ヌイ」となっています。

イースター島

火山島で、現地語では「ラパ・ヌイ」と呼ばれ、正式名称は「パスクア島」です。「ラパ・ヌイ」は「広い大地」の意味で「パスクア」とはスペイン語でイースターを意味します。周囲には島らしい島は存在せず、ポリネシアトライアングルにおける絶海の孤島です。

4~5世紀ころからポリネシア人が住み始め、酋長による絶対統治の階級社会だったと推定されています。島が孤島のため他部族の攻撃がなく、安定した国家が造られたと考えられます。

モアイ像

7~8世紀ごろには石の祭壇が、10世紀ころにはモアイ像が造られ始めたと考えられています。柔らかな凝灰岩が多く存在していたため、それを加工して造られました。タヒチとの類似性から、モアイ像は王や勇者の霊を守り神としてまつったものと想像されます。最初は一人の酋長しかいなかったためモアイ像は少なかったものの、年月とともに分家して数が増え、それに伴ってモアイ像も増えたと考えられます。

モアイ像は、柔らかい凝灰岩を硬い石で削って造られたと考えられます。形態は年代により4期に分かれ、第1期は人間そのものに近く下半身もありました。第2期以降は下半身がなくなり、第3期は頭部に飾りがつくようになります。第4期のモアイ像が一般に知られている形で、長い顔にとがった顎の顔の像となります。

集落を守るように建てられており、海沿いの物は海を背にして立っています。大きなものは高さ7.8m、重さ8tもあります。16世紀以降は造られなくなり、17世紀ころには破壊が始まります。部族間抗争の際、守り神であるモアイを倒すことが必要だったためです。像を造るための森林伐採により環境が変化し農作物の不作が続いたことが、抗争の原因と考えられています。

日本の領土になっていたかもしれない

この島は、1888年にチリの領土になりました。第二次世界大戦前にチリから日本への売却の打診がありましたが、アメリカとの関係に配慮して購入を断念しています。この時買っていれば、日本の大きな財産になっていたことでしょう。

南海の孤島イースター島。ユニークな島の奇妙な石像。ぜひ見てみたい世界遺産です。

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